「私は、月の兎になりたい」
日本語教師としてセネガルへ渡った彼女は、僕にそう語ってくれた。
出発3ヶ月前から、僕たちのセネガルへの準備はスタートした。参加者メンバーと現地への情報を共有しながら、予防接種、彼女への沢山のお土産、そして、ほんの少しのフランス語の勉強。少しずつ気持ちがセネガルモードになっていく。
成田空港での事前研修で初めて会った人たちがほとんどだった。「何か食べながら話しを進めましょう」僕は、アフリカでは食べられないだろうと思い“あんみつ”を食べてから日本を後にした。
ドバイまで10時間。3時間ほど休憩してからギニアのコナクリへ10時間。「後1時間半か」。合計4回の機内食にも疲れて来た僕は、窓の外へ目をやった。セネガルの大地が、そこには広がっていた。
ドバイ空港で偶然出会った他セネガル隊員のご両親も安堵の表情を浮かべていた。お話しを伺ったところ一人娘さんだそうだ。本当に無事に着いて良かった。
税関を通り抜け、ビザ申請も無事に終わり、各自のスーツケースをピックアップし、空港の出口へ向かった。
「たくましくなったなあ…」
5ヶ月ぶりに会う彼女の顔は、ほんのりと日焼けしており、日本にいた時には想像できなかった姿で僕たちを迎えてくれた。JICA職員の方もバンで迎えにきており、まずは、ダカールのJICA事務所へ。事務所に着くと職員の方たちが出迎えてくれた。そして、短期ではあるが今回のセネガルでの生活に関する説明を受けた。夜の一人歩きの危険性、マラリアの注意等、15分ほどで話しは終わった。その日の食事会は、最高に美味しく、長旅の疲れも忘れていた。
28日〜30日までは、ダカールから車で4時間、フィムラという、大自然に囲まれた場所に滞在した。船に乗ってマングローブを実感し、馬車に揺られながらセネガル相撲を見に行ったり、みんなと一緒に彼女との時間を楽しんだ。何よりも、真っ直ぐな地平線の向こうから昇ってくる朝日や、満点の星空を眺める時間は、本当に幸せだった。
一方、このフィムラという地域で青少年活動をする隊員の生活を見学させてもらえた。屋根はトタン。水は15メートルもある井戸から。飼っている鶏を近々捌くそうだ。生まれて初めて井戸から水を汲む作業を体験した。日本は、水が蛇口を捻るだけで出る。それだけで幸せなのかもしれない。
30日にダカールへ戻り、僕たちは、彼女が働いているセザックという学校を訪ねた。学校の警備員さんたち、寮の守衛さん、お掃除のおばさんたち。学校職員の仲間たちにも会うことができた。大晦日には、彼女の親友でもある学校事務の女の子が僕たちを家に招待してくれ、楽しい一時を過ごすことができた。セネガルの地で頑張っている彼女の周りには、沢山のセネガルファミリーがおり僕は安心した。
|