実質8日間の滞在では、ウガンダという国のほんの一部に触れられただけだったのでしょうが、それでも今回の旅行はわたしにたくさんの想いを残すものとなりました。この旅行の実施に尽力いただいた協力隊を育てる会の皆様、旅行社の皆様、現地JICA事務所のスタッフの皆様、そして、とりわけ行き帰りの間、何くれとなく気遣ってくれた引率役の元隊員・川副さんに深く感謝しています。本当にありがとうございました。
さて、私のウガンダ体験は首都カンパラから北に300キロほどのマーチソン国立公園でのサファリツアー、カンパラ東方の都市ジンジャでのナイル川源流の見物、そして娘(コミュニティ開発隊員)の任地訪問などでした。「ウガ飯」(=ウガンダの各種国民食)体験、ぎゅうぎゅう詰めのタクシーや乗り合いバスなどでの移動(まさに現地の人たちと押しくらまんじゅう的に触れ合ってきました)などなど、今もふと思い出すことがあります。そんな中から特に印象に残っていることをいくつか挙げてみたいと思います。
【ウガンダとウガンダ人】
予想とは全く違って、ウガンダは緑あふれる国でした。特にカンパラの官庁街などは、まるで森の中に建物が散在していると言ってもいいぐらいでした。その真っ只中にゴルフ場まであったのには驚きました。
カンパラを出ると国道はまっすぐにどこまでも延び、360度、果てしないなだらかな丘陵地が続きます(あまり深い森林はなかったようです)。「ウガンダの面積は日本の本州とほぼ同じ」とも言われましたが、険しい山地が多い日本とは比べようもありません。
そこに暮らすウガンダの人々は、都会では都会なりにあわただしく、また、田舎に行けば行ったで、のどかな時間の中をゆったりと暮らしているように見受けられました。わたしが会った何人もの人は、ごく自然に、何のわだかまりもなく(娘の通訳付きで)言葉を交わしてくれました。とくに若い男の子たち(と言っても成人の)が無邪気に戯れているところをよく見かけましたが、実に天真爛漫でほのぼのとした気分になりました。
【ダンスショー】
楽しみにしていたのがカンパラのンデレダンスセンターのショーでした。4時間にわたり打楽器、弦楽器の演奏、歌、そしてダンスが続きました。とくに木琴奏者の演奏には感心させられました。また軽妙な(と言ってもわたしは英語がわかりませんが、それとなく理解できる限りで)司会進行役(MC)の語りには心温まるものが残りました。
ショーのメインであるダンスは、男女ともリズミカルに腰を振るスタイルが多かったのですが、それとともに、大地を踏みしめる足の運びに、人類誕生の地、アフリカの人々の命の輝きを見たような思いがしました。
【タクシーパーク】
娘の任地から帰るバスはカンパラに入るころから豪雨に見舞われました。その中を、渋滞に耐えようやく乗り換えのためのタクシーパーク近くに着き、わたしたちは雨の上がった雑踏の中に降り立ちました。左側の水路にはごうごうと濁流が流れています。歩道の赤土がえぐれて水たまりができ、それを避けておびただしい人々が押し合いへし合い、何かしら目的の場所があって突き進んでいます。私も、娘を見失うまいと(人が多くて並んでは歩けません)必死の思いで後をついていきました。
よく見るとタクシーパークには行先別の標識らしきものがたくさん立っていて、それぞれの場所に何台ものタクシー(とは言うものの実は乗車人員を増やすためにシートなどを改装した中古のトヨタハイエース)が無秩序に群がっています。タクシーは乗客がいっぱいになったら出発する方式のようです。わたしと娘は荷物が大きかったので空のタクシーに乗り込みました。場内には整理係のような人がいて、徐々に車を出口の方に誘導しているようです。
すり鉢状のタクシーパークの地面は赤土です。そしてそこに無数のタクシーがひしめいている光景は圧巻でした。私たちの乗ったタクシーはほとんどすり鉢の底。こんなところから出られるわけがないと思っていたのですが、右からのタクシーを牽制し、左からのタクシーをやり過ごし、右に左にうろうろしているうちにお客も満杯になり、最後に崖のようなすり鉢の縁を飛び出すように乗り越えて脱出できた時は心の内で快哉を叫びました。
確かにウガンダは、内陸国ということもあって外国との交易も難しく、資源らしきものも少ないようです。それゆえ、国全体としては(私たちの基準からすれば)概して貧しく、電気も水もままならないところが少なくありません(娘の任地も同様でした)。
それでもウガンダの人たちは、主な食料を自給自足的に賄い、それに足る国土の豊かさがあるようにも思いました。これからもウガンダの人たちが心豊かに、平和に暮らしていけるよう願わざるを得ません。もちろん、わたし自身の暮らしも顧みながら。 |