2015年11月1日からの10日間は思い出深い日々でした。娘の任地はファティック市で首都ダカールから車で3時間です。シートが破れメーターが壊れたタクシーに乗り込んだ時はハラハラどきどきで不安いっぱいでしたが、娘のひと言「セネガルに来たらセネガル人に任せるしかない」で腹をくくりました。
現地では職場やご近所の方々が私を暖かく迎えて下さり、とても嬉しく思いました。娘の仕事は教員養成校で先生の卵を育てる事です。私が訪ねた時は丁度教育実習期間でした。養成校の隣に附属小学校があり実習生の授業を見せていただきました。先生は大きな黒板で、生徒は一人一人小さな黒板での授業で教科書ノートはありません。どの子も目がキラキラしていて時々私の方を気にしてる様子が微笑ましく、私も緊張してしまいました。
私達にも時間を下さると言うので娘が浴衣姿を披露し、私はオカリナを吹いてみました。曲はセネガル国歌です。娘も鍵盤ハーモニカで合奏してくれました。小さな国際交流が出来た事に感謝しています。セネガルでは教員不足が深刻なのだそうです。日本の支援で新しい養成校の建設準備が進められていました。建築に携わる日本人の方とお話する機会に恵まれ、日本がアフリカ大陸に貢献してきた数々の学校の写真を見せていただき誇らしく感じました。セネガルの教育向上を祈るばかりです。
その他馬車に乗ったこと、娘の上司のお宅で食事をご馳走になったこと、セネガル生地でブラウスを作ってもらった事等々時間の流れ方がまるで違う現地での触れ合いの数々が、還暦を迎えた私の心に強く残りました。
娘が沢山の現地の方々に愛されている姿を見て、安心して帰国の途に着きました。お世話になった皆様、ありがとうございました。
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