娘へ「ありがとう」〜悔いのない人生を!応援しています
ベナン 郡山 圭子さん
−郡山 彩 隊員(H26-4次隊/コミュニティ開発)のお母様
引率の方から、娘の現地での様子を聞けたのがうれしく、同行した家族の方とも初めて会ったとは思えない程打ち解けて話ができ、長い飛行機の旅も楽しく過ごすことができたことに感謝しています。
娘の住むペネスル村は、コトヌーからバスで8時間。送電線がどんどん細くなり、電柱が曲がった枝になっていく様に驚きました。途中のトイレタイムは、他の女性客についていき、草陰(なんとお墓!)で用を足しました。とにかく必死で「何でも来い!」という心境でした。
そんな覚悟とは裏腹にペネスルは本当にのどかな村でした。朝方「コケコッコ〜」の鳴き声で目覚め、モスクの礼拝が時計がわり。ニワトリやヤギも痩せているけれど自由。せっかく植えたトマトの苗もヤギとニワトリに食べられてしまったとのこと。
国道沿いの村を、南の端の家具屋さんから北の端のパン屋さんまで、親子三人で水のペットボトル片手に1日かけて歩きました(ここで水を買うのは、私たちくらいでしょう)。
道を歩くと、みんなが「あや!(実はアニ語でおじさんという意味らしい)」と声をかけてくれました。私たちを「パパ、ママ」と紹介し、あちこちで立ち止まって話をしました。現地語は全くわからないけれど「ナガロンマ(こんにちは)」「アラフィア(元気です)」と挨拶すると、笑って迎え握手してくれました。2歳前の幼児は、どの子も私たちが近づくと鬼が来たかのように怖がり、お母さんにしがみついて泣いたり、隠れたり。お母さん方は、それも面白がって受け入れてくれました。
これまで娘は、村で貴重品を一切出していなかったため、私たちが今回初めてカメラを出し、一緒に写真をとってもらいました。
お店は道に並ぶ屋台。現地の食べ物:ワチ(豆ごはん)、ソジャ(あげ豆腐)、ワガシ(チーズの揚げたもの)、ワサワサ(黒いクスクス)。お腹を壊さないように、少量ずつ口にしてきた私たちと、もりもり食べる娘。
毎日、生活のための水を井戸からタライに汲み頭にのせて家まで運ぶ、娘の力強さに驚きました。
井戸水を汲ませてもらっているお家に誘われ、昼ごはんをごちそうになりました。娘も一緒に収穫したという豆を煮てくれました。親切に、部屋にテーブルを入れて歓迎してくれました。娘に「第4婦人になりなさいよ」と誘ったらしく、笑って断っていました。
村長さんのお店で夕食をごちそうになりました。鳥を締めて揚げ、イニャムピレ(芋もち)をついてくれました。イニャムピレをつく時に、パーニュ(布)で背負った赤ちゃんが、ガックガック揺れていてびっくりしました。普段、夜の外出はしないとのことでしたが、帰り道の星空はとてもきれいでした。
娘の家でも炭をおこして、マルシェで買ったトマトとごはんを炊いて食べ、おこげがとてもおいしかったです。
今、冷蔵庫とガスを買おうか買うまいか迷っているとのことでした。「あなたヨボ(白い人)なんだから、ガス買いなさいよ」と言われたとのこと(すぐに答えを出せないでいるところに感心しました)。
非常用(体調不良時)のカセットコンロがありましたが、ガスの空き缶はコトヌーのホテルまで持ってきて捨てました。コトヌーに戻った時、ペネスルでの生活とのあまりの違いに胸がいっぱいになりました。うまく言葉にできません。どちらが幸せなのか、誰にも決められません(コトヌーのホテルのテレビではずっと、フランスでのテロのニュースが流れていました)。
ぺネスル村では、たった一人のヨボ。派遣期間中に何ができるのか何をしないほうがよいのか、いっぱい迷うことでしょう。村では「あやの仕事は散歩でしょ」と、いわれているそうです。それもありだなと思います。娘が村の人たちと元気に暮らしているだけで頼もしいと思いました。