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「娘のいるカンボジアを訪問して」

カンボジア 交久瀬 和広さん
−交久瀬 早希 隊員(H22-2次隊/小学校教諭)のお父様
 「カンボジアってどこにあるんですか?」「あのアンコールワットがあるところでしょう。」ってなぐあいで、カンボジアについて知らない人が多い。
そういう私も、今回の視察の旅に参加しなかったら、さして変わるところがない。世界遺産のアンコールワットとポルポト政権、そして首都プノンペンぐらいの知識しか持ち合わせていない。
今回の視察の旅は、昨年9月27日、私どもの娘が青年海外協力隊としてカンボジアのシハヌークに小学校教員として派遣されたことに始まる。「とうとう行ってしまった。」と、妻はあきらめ顔で送りだした。
時の経つのは早いもので、それから1年が経った。娘と再会できたのは、平成23年11月24日の朝9時、プノンペンに到着し、JICA事務所で安全管理ブリーフィングを受けた後、昼食懇親会の席だった。体操着姿のはつらつとした容姿が眼に飛び込んできた。「がんばっているな。」「元気そうだな。」そう直感した。
はきはきとした受け答えに、少し圧倒された。そして、自己紹介のとき、「娘がたくましくなったように感じます。」というのが精一杯だった。

私たちがカンボジアに滞在したのは、11月24日から12月2日までの9日間で、この間ずっと娘に同行・案内してもらった。初日は、JICA事務所の訪問と安全・健康管理のレクを受けて、日本大使館を訪問した。
二日目は、午前中にプノンペン市内のワット・プノン、王宮前広場などを観光し、午後、トゥクトゥクに乗ってプノンペン空港へ向かう途中、娘の新しい赴任校である教員養成校を訪問した。
プノンペンの喧騒した風景が一変、そこは緑の多い静かな空間であった。日本の真夏のような暑さの下で若者が外灯のポールのようなものを通路沿いに埋め込む作業をしていたが、後で校長先生に、外灯のほかにもバスケットボールのコート作りなどいろいろと教育環境づくりに取り組んでおられるとお聞きした。校庭で遊ぶ児童・生徒の態度や落ち着いた校風も校長院生の人格によるものだと娘から教えられ、なるほどと得心した。
二日目からシェムリアップで三泊し、アンコールワット遺跡の見学や陶器・機織づくり・市場などを見学した。
六日目は朝8時にホテルを出発、マイクロバスで約4時間かけてシハヌークへ向かう。シハヌークで最初の昼食は、娘がお世話になっていた教員養成校の先生のボッティアーニさんのお宅でカレー料理をいただいた。午後1時少し前に着くと、すでに庭のテーブルにそうめん風のヌードルや具材が置かれ、テーブルから少し離れた場所には、七輪の上に置かれた大きなカレーなべが、ぐつぐつと湯気をあげていた。久しぶりに再会した娘と先生は、すぐさまクメール語で談笑していた。周りの私たちには二人の笑顔をあっけにとられて見ているよりほかなかった。
周辺の至る所で椰子の実がたわわになり、ブーゲンビリアのピンクの花が咲き乱れ、日本の初夏のような爽やかな風を受けて、ご夫婦から次から次にいただく、ビールとチキンカレーを、みんな汗ばみながらぱくついた。
満腹の腹を抱えて、教員養成校に伺うとそこには先ほどお世話になったボッティアーニさんが制服に着替えて颯爽と出迎えてくれた。モニュメントの像がいくつも置かれた校庭を音楽堂に案内されると、そこには教員をめざす若い男女が多数集まってくれていた。
娘を久しぶりに見る顔には、娘の身内を歓待してくれる表情が見てとれ、大変うれしく光栄に思った。先生をめざす学生の顔は底抜けに明るく、生き生きとしていた。私たちも自己紹介をし、帰り際には全員で記念撮影をした。
その後、町から少し離れたサクラ小学校を訪問した。午後の校庭では、授業を終えた上級生がはしゃいでいた。じゃれ合う子どもたちの姿は、日本の子どもたちと何ら変わることはない。窓のないオープンな教室からは、1年生の大きな声が聞こえてきた。校長先生によれば、日本の「あ、い、う、え、お」に相当する勉強をしているとのこと。カンボジアでは、新学期が10月からなので、「なるほど。」なのだが、日本では考えられないくらい、大きな、はきはきとした声で、半分腰を浮かして有り余らんばかりの姿勢は、学ぶ喜びを全身で表現していた。
娘はここでも、多くの先生と久しぶりの再会を喜び合った。
今年の夏ごろ、「サクラ小学校を替わることになった。」と連絡をもらったが、理由は不明で、そのことも少し気がかりであったが、アフリカでバイクタクシーによる事故があったことを契機に、JICAとしてバイクタクシーの利用を全面的に禁止されたそうで、現地の状況を見て、バイクタクシーの利用がなければ通勤も難しいことが分かり、娘が任期途中にもかかわらずシハヌークを離れざるを得ないことを理解することが出来た。

わずか9日間のカンボジア滞在であったが、それまでほとんど知らなかったカンボジアが急に身近な国になるとともに、娘のことも少しは理解できたのかなと思っています。
最後に、今回のカンボジア視察の旅を企画していただいた社団法人「協力隊を育てる会」の皆様に感謝申し上げるとともに御礼を申し上げます。

 

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