1 「視察の旅」へ出かけるにあたって
親の反対を押し切って、アフリカへ旅立っていった娘を空港で見送ってから、1年半が過ぎた。昨年度は、エボラ熱の件もあって、「視察の旅」への申込みをしなかった。派遣2年目となる今年度、参加希望をより強くしたのが、5月に名古屋市で開催された「愛知県JICA家族連絡会」に出席してからである。6月末に思い切って、たった1名だけの参加申込書を提出した。人生で、これほど大きな決断は他に無かったように思うが、娘のいるベナンへと出かけることにした。
2 ベナンでの娘の活動を目の当たりにして
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任地の小学校の子ども達 |
1) 任地の小学校を訪問して
「おはよう!」「元気ですか!」子ども達のかけ声が一斉に響きわたる。ここは、政治的首都、ポルトノボ市内のジェガン・ペビィ小学校である。隊員である娘と共に、全ての教室へ挨拶回りをした時のこと。娘が日本語で発する挨拶に対して、子ども達が大きな声で、しかも日本語で応える。ある学級では、「カエルの歌」を日本語で聞かせてくれた。娘が教えたとのことである。
この小学校のすぐ隣に、ポルトノボ市の教育事務所がある。そこが、25年度4次隊「小学校教育」の職種で派遣されている娘の任地である。教育主事さんの指導のもと、市内多くの学校を自転車で巡回し、算数や図工などの学習指導にあたっている。
2) 算数の授業風景
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娘の算数の授業風景 |
娘による6年生27人への算数科図形の授業を参観することができた。娘の説明を真剣に聞く子ども達、質問に対しては積極的に挙手し、さらに子どもどうしが指名し合うなど、60分間、集中力を失わずに取り組む。細かく切り分けた「帆掛け船」図形の組み合わせ学習を全員が集中しており、前に出た子が解くのをじっと見守っている。やっと完成させると、一斉に手拍子が起きる。真剣に学ぼうとする子ども達のきれいな瞳が教室内にキラキラと輝いている。
次に、「TANGRAM」。プリントに印刷してある元の図形をはさみで切り、組み合わせて完成形にしていく。形を見抜いて、次々と完成させる子ども達。正解し「○」をもらった時の嬉しそうな笑顔。ああ、これがあるから、娘はもう1年半以上もベナンで活動ができているのだなあと感じた。作業後の授業終末における娘の話。柔らかく、優しい言い方で、子ども達の心の中に届けとばかりに語りかけた。しかも、フランス語(ベナンの公用語)だ。わが娘の成長の一端を見たひとときであった。
3 ベナンの人々の温かさに触れて
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教育事務所での昼食歓迎会 |
この感動に続いて、お隣の教育事務所で、何と私の歓迎昼食会を開いてくださった。「真奈美の父親が来る」と言うことで、もうだいぶ前から計画していたそうだ。しかも午後には、ジェガン・ペビィ小学校の運動場で、新教育長の着任式典があるというのに。日本では考えられない。大皿に盛られたベナン料理が出てきた。まずは、焼きバナナのトウガラシ添えを勧められる。次に、蒸した鯛となまず(?)にトマトソースをかけたもの、白いパットとモロヘイヤの濃い緑のソース添え、全部一緒に混ぜて食べると、とても美味しい。教育長さんも隣の席で、私をもてなして下さった。最後に日本から持ってきたお土産を娘と共に配り、お礼を言った。娘を囲む職場の人々の良さ、素晴らしさが感じられる食事会であった。特に、直属の教育主事であるアフレさんは、かなり優秀な人物であり、これからのベナン教育を牽引していく一人と感じた。そこで、お世話になっている娘はとても幸運である。その事務室には、一昨日、自宅に訪問したシルビーさん(今年3月退職)もみえたのだから、最初の1年間でフランス語と共にベナンでの生活をかなり支えてくれたものと感ずる。加えて、娘がベナンに来たばかりの頃、ホームステイでお世話になったドチャムーさん宅を訪問した。娘のフランス語が上手くなったことに感心されていた。きっと、ホームステイ中は全然話せずに悩んでいた日々を、優しくサポートしてくれたのであろう。本当にポルトノボに住む人々には感謝している。
4 この旅行を終えて
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娘と同じベナンで活動している隊員とともに |
ベナン隊員経験をもつ添乗者の安心できる同行と、現地におけるJICAベナン支所スタッフの親切丁寧な対応。日本から約1万3千キロ以上離れた西アフリカのベナンで活躍する派遣隊員の逞しさとまとまりの良さ、そして、一緒に行った家族の方々との協力。全ての面で助けられ、実現できた旅行であった。終わ
ってみれば、私は「メルシー」しか言えなかった気がするが。こんなに素晴らしく心に残る「視察の旅」の機会を設けていただいたJICAの方々に対して、感謝の気持ちでいっぱいである。 |